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大須大道町人祭

さぁさぁご用とお急ぎでない方は、聞いてらっしゃい見てらっしゃい。


第31回大須大道町人祭

 大須商店街低迷期に町おこしの一環としてはじまったこの祭。失われていく下町情緒と江戸の昔から庶民に継承された大道芸再現を求め、名古屋の中の大須を見つめ直すには盛り場大須の代名詞でもあった「大道芸」という発想に基づいている。
 今回で第29回を数える大須大道町人祭とはどんな祭なのか。下町情緒あふれる庶民の祭、ふれあいを重視したまつりの楽しさ、面白さを再考させるものでしょうか。
 一方で 戦前のにぎわいを取り戻し、20数回をこえて新しい大須が祭を変える。
 ここでは「祭」へご案内する前に、年配者に「戦前の大須のような賑わい」といわせた第一回の模様とその前50年、51年(1975年、1976年)2度行われた「アクション大須」を当時のミニコミ誌の引用から。


大須大道町人祭

 ジンタの響き、しょう油のこげる露店のにおい、威勢のいい呼び込み。そこには久しぶりに戻ってきた庶民の町大須のにぎわいがあった。

 このまつりは昭和53年に第一回が開かれ翌年も同内容で実施されている。開催日は名古屋祭と毎年、同じ日をあてているが、こちらは名古屋祭のような派手さはない。しかし、それはそれで市民のハートをがっちりとらえているようだ。

 第一回目のまつりでは、のぞきからくりや猿回し、ろくろ首から人間ポンプと、アーケード街や広場には昔懐かしい大道芸があちこちで興行。200店を越す露店と見物人でごった返す商店街を「おいらん道中」と「三英傑行列」が練り歩いて、祭は最高潮に。

 三英傑には、大須商店街の子供達が扮し、手製のよろいかぶとをかぶった武将、仲良く交代でロバにまたがり、淀君には、お母さんに乳母車を押されて歩く幼児が。淀君の名前にひっかけたヨダレ掛けをして乳首をくわえたかわいらしい姿が沿道の笑いを誘っていた。

 掛け小屋で催されたお化け屋敷は、竹の葉が茂って暗く、所々に赤い電球が垂れ下がり、ヌーッと姿を現す幽霊や戸板に乗せた死体、天井から垂れ下がる大蛇などにけたたましい悲鳴が聞こえていた。オートバイ・サーカスは、円筒形の木の枠の中を遠心力を利用して猛スピードでオートバイを走らす曲芸。枠の上に並ぶ見物人すれすれにオートバイが通過するため、迫力のすさまじさにため息がもれるなど、数々の演芸に人々は夜遅くまでよいしれていた。

 大道芸特設会場南側の「ろくろ首」のそばで通行人をにらみつけるさらし首。実はこの”首”は、当初大須商店街の店主の中から選ぶ予定だったが、気味が悪いと誰もが辞退。で、やむなく前日になって日当付きで募集したところ、若いOLも含めて十数人の”勇気”ある人たちが応募した。この中から大学生ら男女3人が交代ではれて”生首”を披露することになったもの、という。


アクション大須

 「戦前までは一年中、人で埋まったものですよ。その当時が再現されたようで、なんともいえないきもちですなぁ。」

 こんな声が年配の大須っ子から聞こえた「アクション大須」。この日は朝から小雨がぱらつく、あいにくの梅雨空だった。それでも、大須を市民のコミニュティーの町にと1ヶ月も前から準備に取り組んだ学生や地元青年たちの熱意に、市民たちが続々と集まっり、ピーク時には約10万人。一昔前の盛り場、大須がよみがえった。

 大須観音の鐘の音がまつりの開始を告げた午後3時には、まつりの舞台となった大須2丁目、3丁目の歩行者天国や観音前広場は、人の波で埋まり、コンサート、ファションショー、寄席、寸劇、路上喫茶のほか交通社会を皮肉った辻かご、竹馬なども登場。ヤングらしいアイデアとウィットに富んだ盛りだくさんのプログラムが訪れた市民の心を奪った。

 一方、大須再建に乗り出した長老たちを中心にした「大須8の日会」もヤングたちに知恵を貸し、地元商店街も同じくヤングに呼応して、バーゲンセールや風船、金魚のプレゼントなど年末商戦に匹敵する大盤振る舞いのサービス。

 ヤングと長老、商店街がスクラム組んで新しい大須の町づくりに第1歩を踏み出した記念すべき日だった。

(50年6月29日)

<参考ホームページ>

見世物広場《各地のフェスティバル》【大須大道町人祭】